どうすればいいの?
こんな未来、三分以内には見えてなかった。
しかも、木を倒した時も致命傷まではならないけれど、確実にダメージは負うはずだった。
でも、馬面さんは無傷で私の目の前に立ち、勝ち誇った笑みを浮べてる。
「ヒャハハッ! まさかここでもう一人が登場とはな…半分諦めてたが、やっぱ俺ってツイてるぜ♪」
「やめて…」
「いい顔になってきたじゃねぇか」
顳顬(こめかみ)に銃口を押し当てられたその姿を見ているだけで、呼吸が荒くなっていくのが分かった。
まるで、食肉を捌く前の吊るし切りの恰好をさせられたまりあちゃんは、髪の毛を乱暴に掴まれていても何の反応もない。
左目は閉じたまま、右目は腫れてて痛々しい青痣が目に焼き付く。
鼻と額からは鮮血が流れ、彼女の足元を中心としてその円は歪さを残しまま、なおも広がり続ける。
「……ッ!」
視線を逸らして息を整えようとしても無駄だった。
上方の肩が抉られ肉が飛び出てたから。
強烈な吐き気を抑えるのが精一杯で、肉片の行方を目で追う勇気が私にはなかった。
「おい、おい。そんなんで仲間守れんのか?」
「死、ん…じゃう」
「いや、当たり前じゃん。殺すし」
どうして、ここまで…?
服まで引き裂かれて、その裂け目からは胸の左右に二本ずつの引っ掻き傷が覗いている。
加えて、無惨にも右乳房(ちぶさ)が露わに。
酷すぎる。
これは”娑屡(さる)”の仕業。
でも、指示したのは十中八九この人だ。
やっと思考が追いついた時、目の前の衝撃を上回る大きな感情が私の中を渦巻いてく感覚を覚えたの。
「とうとう喋ることすらできなくなったか? 一人で勝手に絶望してな。嬢ちゃんの負けだ」
「……」
「さぁ、カウントダウンだ!」
「……さないっ!」
「あん?」
「許さないっ!!」
「ヒャハッ! 3…2…」
「はああああああああああぁぁぁ!!!!」
――正面から突っ込んできて何ができる?
弾は当たらない。
――振りかぶりやがった…殴りかかって来るな。
殴ってもダメージが少ない。
「いt……」
なら、確実なのはこれだ!
――また消えた!?
「1!」
――ッ!!!!!!!!!!!!
!!!????????????????????????????????
――力いっぱい足を踏みつける!!!
「ぐああっ!!」
痛みに歪んだ顔を思いっきり睨みつける。
こんなの、まりあちゃんの比じゃないって。
馬面さんが手を離した隙にすかさずキャッチ。
片足を上がってバランスを崩したその懐を、背中が覆い被さってくる前に背を屈めて駆け抜ける。
数瞬の賭けだった。
結果、
「いっ、痛ぇぇぇ~~~っ!!!」
最大の危機は回避。
無事にまりあちゃんを助け出した私は、馬面さんの絶叫を聞きながら、背を向けてひたすら走った。その足に追いつかれないように。できるだけ時間を稼げるように。
途中、耳元にまりあちゃんの顔を近づけてみる。微かではあるけれど、確かな呼吸が伝わってきた。
しばらく走って、二キロを過ぎたくらいの場所。その景色には見覚えがある。動物たちが水浴びをしてた、あの泉の近くだったの。
そう遠くへは攫われていなかった――もちろん、まだ油断はしちゃダメ。
でも、これに気づいた時は少し肩の力が抜けた気がした。おかげで、まりあちゃんの治療もすぐに始められるし。
「まだ耐えててね…まりあちゃん!」
あの速さは尋常じゃねぇ。
怒りで暴走した時の同胞(ホンモノ)の目をしてやがった。頭のネジでもぶっ飛んだか?
このまま逃がしたら、俺のせいで今までの作戦が全部パーだ。ボスの期待を裏切ることと同じ。
そして、何よりエリックには…俺の唯一の親友には大金を両手に抱えさせてやりてぇ。不細工でガサツな笑い声を毎日聞きてぇんだ、俺は!
*
一年前――
チャイニーズマフィアとしての最後の任務は麻薬の受け渡し。いつもと変わらない事務的な作業だと思った。
「ラージ、今夜コイツと一緒に指定された倉庫にこのブツを持って行ってくれ」
「二人もいらねぇッスよ、ボス」
「裏切りが基本の世界。二人一組が原則だっていつも言ってんだろう」
「じゃあ、アイツは?」
「エリックなら、まだ帰ってきてねぇよ」
そう言って、組まされたのが組織に入って半年の『ヒライ』って日系人だった。
「よろしくお願いします。先輩」
俺は、コイツが嫌いだ。いつもボスの近くでコソコソしてやがるし、この能面みたいな薄ら笑いが気持ち悪ィ。
その夜、胸のざわつきは現実のもんになった。
「ご苦労様でした。先輩…では、死んでください」
任務の帰りの車内でヒライは銃を向けたんだ。
「今日の取引のブツの中身は麻薬じゃないんですよ」
「どういう意味だ?」
「あの中には『不死の薬』の素(もと)が入ってます。僕がすり替えたんですよ」
俺の方に向き直り、ヒライは能面顔で得意げに語りやがった。
「日本で『不死の薬』が秘密裏に研究されてることは、ご存じですよね? 実はその政府黙認の国家プロジェクトに、僕の知り合いも研究員として働いてましてね」
「それがどうした?」
「いやね、彼曰く『このプロジェクトがもしも明るみに出た時、その後の後継者が研究を続行するための保険として信頼できる裏ルートに流し、その素を保管している』らしいんです。その一団がここだった。それでボスの”裏切り”を知った僕はこの組織にスパイとしてやってきました。元は政府の末端にいる情報屋なんで、恩あって研究員のそいつのためにも、それを阻止してやりたかったんですよ」
「裏切りってのは?」
「密かに、それを高値でインドに売りつけようとしたんですよ。だから、僕は動いた。ウソの日時をボスに伝えて中身をすり替え、その犯行を先輩が実行する可能性があると彼にリークすれば、彼はアナタを疑い、同時に濡れ衣を着てもらえると考えたんです」
「全部お前のシナリオどおりってわけか…元々の取引相手はどうした?」
「殺しました。本当の取引は明日ですよ。今日来たのは、政府直属の人間です。取引相手の詳細すら聞かされてないなんて、先輩って本当に彼の右腕なんですか?」
俺は、その場でヒライを殺した。骨すら残らぬよう、車ごと燃やしてやった。
「僕を殺しても意味がない」
奴は殺す直前にそう言ってたが、騙したことが許せなかった。俺のことも。ボスのことも。
翌日、取引は失敗。
組織は、インド政府によって壊滅させられた。
*
変な事思い出しちまった。
さっさと終わらせて戻らねぇと、アイツが心配だぜ。
起き上がって目を閉じ、意識を集中させる。俺は今までこの方法で嬢ちゃんの位置を探ってたんだ。
「“地形投影(プロジェクション)”」
脳にここの地形全体を映し出す。
俺の能力は空間把握。一度足を踏み入れた地形を瞬時に把握し、リアルタイムでその周囲が映像として脳に送られてくる。
「何!?」
気付くのが遅かった。
この数分で、嬢ちゃんが戻ってきやがったんだ。
パオォ~~ン!!
バカデカイ象に乗って。
その鳴き声を合図に、動物の群れが押し寄せてきてんのが目に飛び込んできた。
「いっけぇぇ~!!」
「いや、待って! 速すぎて怖いよ、京子ちゃん!!」
何で小あの嬢ちゃんまで、生きてやがる!?
象が追うのは、頭が特徴的なバッファロー。
象を挟んで右側と、その前方にコイルのような角の周囲を青黄色のグラデーションに発光させた鹿。頭の上では、そっから伝ってきた電撃が左右からぶつかり合って火花を散らしてやがる。くらったら丸焦げレベルだな。
先頭に図太い牙を剥き出しにした青い目のチーターが猛る。背中の赤い花柄が毛の色と相まって、いやに迫力があるぜ。
あの猿どもは、いつの間に寝返った?
「まさか、コイツらで俺を踏み潰す気かよ!?」
「全速前し~ん♪」
周囲を薙ぎ払う轟音を聞きながら、俺はしばらくその場を動けずにいた。
―See You Next