DAY10 嵐の前の静けさ

 

 足が重い。

 目の前の景色が歪んで見える。

「おい、ラージ」

「何だよ?」

「俺たち、どこに向かってんだ?」

「知らねぇ」

「じゃあ、何で島に着いた時より人数が減ってんだ?」

「それも知らねぇ」

「だったら、ここは何処なんだ?」

「どう見たって砂漠じゃん。てか、もう喋りかけんな」

 俺の名はエリック。スパイ集団”ILW”のリーダだ。

 たった今、俺の後ろを歩く仲間の一人から明らかな殺気を感じた。振り返らずとも分かる。

 どちらが素なのか判らないが、普段は気さくで陽気なラージがここまで豹変するとは…。なるほど、ここが砂漠か。この暑さ、インドとは比べもんになんねぇ。

「そんなに怒んなよ」

「ねぇ、水とかなんか飲み物ないの?」

「あるわけねぇだろ、んなもん。全部艦(ふね)に置いて来ちまったよ」

「いざって時に…ハァ…頼りにハァ…なるのがリーダーってもんじゃないの?」

 息も絶え絶えに訴えてくるのは、ラージの後ろを歩くもう一人の仲間・イルファーン。ウチで唯一の武闘派だ。

「イル、お前まで俺を責めるのか? しかも、口ぶりがアビに似てきたんじゃねか?」

「何よ、アビ姉と一緒にしないで。ハァ…あァあ、エリックなんかについてくるんじゃなかった。ハァ…絶対はぐれたわよ…これ」

「同感」

 まったく、薄情な奴らだ。いや、薄情を通り越して無情と言ってしまってもいい。ピンチの時こそ、一致団結だろう―リーダーとして一喝入れて士気を上げていきたい場面だが、もうそんな気力は誰一人残ってはいなかった。

 砂に足を取られ、照りつける太陽に脳ミソまで溶かされそうになりながら、ただ前に進んでいる。

 しかしながら、一向に景色に変化がなかったのは、そこが砂漠だからだった。昨夜から六時間近くは歩いているというのに、異変に気づいたは数分前のこと。その間に他の仲間たちとはぐれ、目当てのカレーの匂いも消えていた。

「どこに行ったんだ? あの美味そうな匂いは」

「だいたい、ハァ…エリックがまだまだ食い足りん―なんて言うから…ハァ…」

「うるせぇ! ついてきたのはお前らだろ!! てか、何でウチで一番タフなお前が既に死にそうなツラしてんだよ?」

 目に入りそうになる汗をかろうじて拭い、後ろを振り返る。そこには、ぐったりと肩を落として俯きなら、気力だけで歩を進めるイルファーンの姿があった。細身の彼女がさらに細く見えた。これは冗談でも錯覚でもなく、本当にやつれているのだ。

 そして、俺ら二人も例外ではない。全員、限界なんてのは超えた体で砂の大地を突破しようとしている。既に意識が朦朧としているのだから、普段と雰囲気や態度が変違うのは当たり前か。こうして歩けていることも今となっては奇跡だ。

「アミダーブたちは、どこ行ったんだよ…チキショ~~~~~!!!」

「叫んだら干乾びるぞ」

「暑さで死ぬのだけは嫌…なんか屈辱」

 俺たちが力なく天を仰いだ直後、そいつは現れた。俺たちの遥か頭上をゆっくりと西に向かって進んでいる。

「おい、見ろよ! あれ」

「ん?」

「あいつの顔、渡された資料で見たよな?」

「確かに見たけどよ。あんなんだったか?」

「もう幻覚でしょ、あれ」

 俺も一瞬そう悟った。

 だが、わずかに残る記憶が絶対に幻覚ではないという自信の裏付けとなり、落ち着きを取り戻す。

 薄っぺらで小さなナンのような顔。

 コーヒー豆のような目。

 タコより短く、ウジャウジャと宙を泳ぐ気色の悪い足。

 全身が水色の異生物。

 名前は知らんが、俺はこいつを見たことがある。

「なァ、あいつについて行ってみようぜ。どっか違う場所に出られるかもしんねぇぞ!」

 俺は、こいつに賭けることにした。もう、それしか途(みち)はないと思った。

 直観だ。

 俺は最期に自分を信じた。

「確かに砂漠で死にたくはねぇわな」

「どっかの方向音痴さんよりは、ハァ…頼りになるかも」

「ぶっ倒れんなよ、野郎共ッ!!!」

 必ずこの場所から抜け出す―俺たちは、強い意志と希望を胸に再び歩き出す。

 

*

 

  島の中心部。

 この辺りには『竹』がたくさん生えています。ここに来るのも、『竹』を見るのも初めてのことでした。

 訳あって前回ほど嫌ではないのですが、またも俺は例の金髪チビと一緒に行動することに。何故かというと、奴しかここに来たことがないからです。

 実は『カレー』がなくなっていることに気づいた直後、師匠に集められ、今後の対応についての話し合いがもたれました。その結果、

【他のグループにカレーを分けてもらう】

という結論が出ました。カレーを分けもらい、自分たちの味に限りなく近づけよう―ということになったのです。

 ちなみに、その他にはこんな意見もでましたが…

 

【もう一度作り直す】=時間と水がない。

           間に合ったとしても、満足した出来に仕上がらない。

【素直に謝る】=何をされるか分からない。

【女子二人が”パピロン”を色気で誘惑】=えっ? 何それ…『美味しい』の??

 

ということで却下。

 その後、しばらく近くで分けてもらえそうなグループを手分けして全員であたってみましたが、たいていが少量だったので仕方なく断念。

 そこで、他に心当たりがあるという潤美と実際に味見した京子さんを連れて竹林地帯に着いたのが二時間前の話です。

 

 そして、現在―

「ねぇ、アナタってどれくらい前の記憶まで残ってるの?」

「年齢以外は、この島に来た時からの事しか覚えてません」

「じゃあ、何歳?」

「二十歳です」

「好きな人は?」

「いません。たぶん」

「じゃあ、向こうで調理してる二人のどっちが好み?」

「さぁ…」

「ちょっと肩でも揉んでくれない?」

「私は足と腰ね。さっき体が軽くなった感じがしたから、もう一度お願い」

「…」

「私たちの中で一番の好みは?」

「えっと…」

 竹林地帯を東に抜けた場所で十人の女性に囲まれ、質問攻めにあっています。近くで緩やかに川が流れているというのに、せせらぎの音がまったく聞こえてきません。それだけ追い詰められているのです。

「あの…もう、ずいぶん時間経ちましたし、そろそろ潤美たちのところに戻りませんか?」

「まだ話してたっていいじゃないか? 『カレー』は逃げたりしないさ」

「いや、そういうことじゃなくて…」

 何故かうっとりとした目で俺を見つめ続けている黒鉄さんを筆頭に、かれこれ一時間ばかり延々とこんな感じ。

 目の前の彼女は、熱でもあるのでしょうか?

【この子を好きにさせてくれたらね】

というのが先日、潤美に負けて『鍋』を作ってくれた黒鉄さんに、彼女たちのグループの『カレー』を分けてもらうための条件。

 事情を聞いて最初は渋い顔をしていた彼女が、すぐに雷に打たれたような驚きの表情で俺を指差したのです。見間違いでなければ、その時頬が少し赤みを帯びていた気がします。

 気づくと、後から一人の女性に腕を回され、その体にもたれるようにして川の近くに座っていました。

「今度、貴方の言う”師匠”に会いたいわ」

「そうね」

「私も!」

「それは、いいですけど…俺の体をベタベタ触らないでください」

「あら、『味覚』は忘れてたのに『触覚』はあるのね。記憶や技術(スキル)の消失には個人差があるらしいんだけど…残念。『味』なら私たちが教えてあげたのに」

 どういう意味ですか…それ、絶対に嫌です!!

 恐怖しか感じません。

「とにかく、俺は帰ります」

「えぇ~~っ、ホントに?」

「本当です」

 時間もないし、二人のところへは飛んでいこう。飛んでる姿をあまり見られたくはないけど仕方ないな。

 女性たちの手を払いのけ、ようやく立ち上がれた時、

「ねぇ、今度会った時は私も『てっちゃん』って呼んでいい??」

と、赤髪の人に聞かれたので

「お好きにどうぞ」

 短く答えてその場をあとにしました。

「あの子って飛べるの?!」

「さっきの聞いた? あれ絶対、私に向けて言ってた」

「聞いたの私なのに、それおかしいでしょ!」

「爽やかって、ああいう子のことを言うんでしょ?」

「そういえば、さっき飛んでった生き物ってなんだっけ? 羽は黒かったわね」

「あれがホントに、今の子なの?』

「私、あの姿は好きじゃないかも…」

 飛んでいても、しばらくは彼女たちの声が聞こえていました。どうやら相当、気に入られた…ようです。

 俺が戻った時には『カレー』は完成していました。

「王子、疲れてるみたいだけど少し急いで!」

「はい!」

 潤美に『カレー』を任せ、京子さんを俺の背に乗せて師匠の待つ海岸へと急ぎました。

 この時、彼の身に起きていた悲劇を知ることもなく。

 

 ―運命の正午まで、あと二時間。

スマホからこんにちは!

荒木テルと申します。小説家志望の29歳です。

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03.12