DAY 09 招かれざる客人たち

 

 海中を進む黒い影が、獲物を発見した魚のようにその場でピタリと止まった。

 先ほどまでの轟音は消え、辺りは静まり返っている。

『ここで間違いなさそうだ』

 操縦席から海面に伸びる双眼鏡を凝視して、一人の黒人が重々しく告げる。

『やったな、エリック』

 右隣の天然パーマの男が陽気に声を弾ませた。

『ラージさん、何でそんなに楽しそうなんですか? ここが本当に”日本”で、もし誰かに見つかったら僕らはその時点でイチコロなんですよ…。だって、持ってるんでしょ? 相手はそれだけの能力(ちから)を』

 幼い顔つきの少年が、ライフルの手入れをしながら天然パーマに冷ややかな視線を送る。

『大丈夫だって! なんたってこの潜水艦は旦那が造ってるから耐震性と頑丈さは保障済み。俺たちだって、その道で何度も修羅場を潜り抜けてきたエリート集団。政府直々の依頼とは腕が鳴るぜ!」

『年寄りをコキ使いおって。まったく、その傲慢さが後に吉と出るか凶と出るか』

 自信満々の顔で拳を握る彼に、後方に座る老人がため息交じりに呟いた。体型のせいもあってか妙に貫禄がある。

 白髪の老人の名は、アミターブ。彼の設計技術は世界トップクラスと言われている。

『相変わらずクールっすね、旦那は』

 フー、と呑気に葉巻の煙を吐き出す老人を眺めて、ラージが肩をすくめてみせる。

『旦那の言う通りだぜ、ラージ。まずは落ち着け』

 そう言うエリックも明らかに興奮している。手が震えているのが何よりの証拠だ。

『ボスが不在の間に、最高の手土産を持ち帰ってやろうぜ。そうすりゃあ、俺たちの株も上がり、政府から金もたんまり入って万々歳ってわけさ』

『ねえ、エリック。実際に通報者が見たっていう黒のおじさんと青髪のイケメンは見つかった?』

 喰い気味に質問したのはラージの隣で頬杖をついていたアビシェークだ。

 長い黒髪に淡いブルーのレヘンガを着た長身の女性が退屈そうにこちらを睨んでいる。

『情報にあった奴らは見当たらねぇが、同じような特徴の集団が二組いるぜ。”日本人”で間違いない』

 気圧されたエリックがいつもの調子戻って報告する。

『アビシェークは、どっちが好みなの?』

 弾む声で聞いてきたのは、老人の隣に座るイルファーン。

 アビシェークよりも小柄だが、彼女に負けず劣らず美しい顔立ちの女性だ。ピンクのレヘンガがよく似合っている。

『今は関係ないでしょ』

 彼女の素っ気ない反応にイルファーンは撃沈した。

『相変わらずノリが悪いわね。アンタ、絶対にモテないわよ』

 好奇の輝きを放った瞳は一瞬で曇り、拗ねた子供のように彼女は口を尖らせる。

『あいにく男には困ってないわよ。心配してくれてありがとう』

 そんな彼女に余裕で返すあたりは流石は年上、と言ったところだろうか?

『つくづく締まりのない連中じゃな』

 アミターブが顔を手で覆った。

『黒のおじさんには気をつけた方がいいよ。政府の關係者で相当強いらしい』

 ぼんやりと窓の外を眺めながら、少年が呟く。両端から彼らの艦(ふね)と並走して、二匹の魚が楽しそうに泳いでいる。

『心配すんなって、シャバーナ。俺たちの実力と、この武装なら簡単にゃやられねぇよ。一人につき三人はノルマな』

『はい、はい』

『んじゃ、お前ら。いっちょ派手にやるか! 俺たち”ILW”がお国の為にひと肌脱ごうじゃねぇか!!』

『いや、たぶんだけど私たち全員そういうむさ苦しいの望んでないから。ただでさえ窮屈なんだから、さっさと進んで』

『はいよ』

『今気づいたけど、僕たちに構成員名(コードネーム)ってないよね? それって大丈夫なの? 組織的に』

 リーダーの声は、仲間の批判とスクリュー音に掻き消され、海中でさえ響くことを許されないのだった。

 

 それは音もなく僕らに忍び寄っていたのだ。

 

「これでよしっと! 甘みもいい感じに出てるよ」

 できたての『カレー』を味見したキョーちゃんが満足げな表情を浮かべる。

「やっと完成か」

「半日かかましたね」

「これが『いい匂い』っやつかな? 京子ちゃん」

「嗅いで幸せだと感じれば間違い―って、レシピ聞きに言った時にクマさんが言ってたよ」

「ふ~ん、私も味見したいな」

「ダメで~す。これはクラゲちゃんにあげるんだから」

 鍋に突っ込まれる寸前の潤美の右人差し指を、キョーちゃんが素早く捕らえる。

「何で? 京子ちゃんは味見したじゃん?」

 突然、手を強く握られて驚く潤美。困惑と思い通りにならないもどかしさに表情を歪ませる。

 そんな彼女にキョーちゃんは

「それは私がまとめ役だから、責任をもって味の最終確認をしただけだよ」

 宥めるような口調で優しく言い聞かせる。

 しかし、その表情に一瞬だけ悪戯な笑いが垣間見えた気がした。

 本当は味見したかっただけだよ~!―なんて聞こえてきたのは、それこそ僕の思い違いだ…よな?

「本当に?」

「うん!」

 訝しげな彼女に、キョーちゃんがはっきりと頷いてみせる。

「わかった」

 そう言って鍋を覗きこむ輪から抜けた潤美の表情はどこか寂しげだった。

「あとは一晩置いておくだけだね。理由は解からないけどそうしたら、もっと美味しくなるんだって。クマさんは『寝かせる』とか言ってたっけ」

 火を消しながら、キョーちゃんが何か思い出したように付け加える。

「そういえば、明日は私たちも他のグループの『カレー』と食べ比べていいらしいよ?」

 直後、振り返った潤美の顔に明るさが戻っていた。

「じゃ、私はターザンさんの様子見てくるね! みんなは先に寝てて。スー君は寝る前のオ・ヤ・ク・ソ・クがあるから待ててね♡」

 キョーちゃんは、それだけ言って奥の方へと消えていった。

「うん」

 この時、僕だけ返事が遅れてしまう。急に喉が渇いてきた。

 最後の色っぽさは何だ?

 お約束って?

 疑問を覚えて、無意識に顔が強張り始めるまで時間は必要なかった。

 洞窟の真ん中に取り残される僕。

 二人は僕の両脇で早くも寝息を立て始める。

 月は僕の気など知らず、夜空を煌々と照らしていた。

 

『ここどこ?』

 ヘックシッ!!!!

『ちょっ、汚い!』

『自分で飛び下りといてこんな浅瀬で溺れるとかバカすぎだろ、エリック』

『あと、リーダーが方向音痴とか最悪」

『うるせぇ! お前が気合入れさせなかったから、こうなったんだろが!! 俺は確かに真っ直ぐ進んだよ!』

 周囲に仰向けのまま苦しまぎれ怒鳴り散らした男の体は小刻みに震えている。

 しかしその直後、電気が走ったように勢いよく上体を起こしたのだ。

『今度は何よ?』

 驚くイアビシェークに、彼が間の抜けた表情のまま振り向く。

『おい、この匂いって…』

『えっ?』

 彼につられて、他のメンバーも鼻をピクつかせる。

 

*

 

 朝、キョーちゃんの悲鳴で目覚めるまで僕らは思ってもいなかった。

 今日がこんなに長い一日になるなんて―

「みんな、どうしよう?! 『カレー』が無くなってるよぉ~!!!」

―See You Next

 

スマホからこんにちは!

荒木テルと申します。小説家志望の29歳です。

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