「キョーちゃんって、『料理』とかするの?」
「したことないかも。ていうか、そもそも『料理』って何だっけ?」
僕たちは今もこうして生きているだから、体に必要な栄養は摂取していたのだろう。そうでなければ死んでいる。
だが、案の定、『食べていた』記憶がないのだ。つまるところ、『生命維持の技術(スキル)』が脳から欠落しているのだ。
きっかけは、何気ない会話。
個々の能力だけでは、生きていけない―そう実感したのは〈ブラジャー消失事件〉から一夜明けた昼下がりのことだった。
*
「絶対、手離さないでね!」
僕は必死に重力に逆らう。手がじっとりと汗ばんできた。
「もう…限界!!」
僕はかろうじて崖の窪みに手をかけている状態なのだ。眼下に広がるのは広大な海と、その狭間で呻くキョーちゃん。
細い腕が小刻みに震えている。
辺りを見回しても誰もいない。
打開策も浮かばない。
「…っ!!」
この最悪な状況から、どれほどの時間が経過しているのだろうか?
僕の腕も既に悲鳴を上げている。
僕らは今、文字通りの崖っぷちなのだ!
―どのようにして、この危機的状況に陥ったのかを説明する為に少し時間を遡ってみよう。この腕が千切れるその前に。
空腹を覚えた僕らは、二手に分かれて食材探しをすることに。てっちゃんと潤美は海に、僕とキョーちゃんは森や山の方へ向かうことになった。
行き先を決める際、キョーちゃんはひどく海に行きたいと嘆いたが当然、即却下。彼女は自分の弱点を解かっていないようで、かなり食い下がってきた。
かと思えば、潤美の方はキョーちゃんと一緒に行きたいと言って、お得意の表情で僕にしがみついてくる始末。彼女のこの表情を、ここに来て一週間たらずで何度拝見しただろうか?
何か作為的なものまで感じてしまう。
仕舞いには女子二人が双子のように、僕を見上げてきた。
正面に向き直ると、ガッツポーズを決めたてっちゃんの視線が痛かった。
師匠が困ってんだから助けろ!
僕は心の中で吠える。
結局、最終的には『じゃんけん』で行き先が決定。提案者は僕だ。何故、この方法がすぐに浮かんだのかは不明だが、状況が状況だったので今は自分を褒めてあげたい気分だ。
さらに、今はキョーちゃんと二人きりというのだから本当に嬉しい。最後の勝負をする際、
【勝者がキョーちゃんに同伴】
という条件を出しておいて良かった。
やっぱり、神様はいるんだなと、心の底から有難く思う。
ついでに言っておくと、不本意ながら今回もアイツの力を借りてしまった。どのようして今、僕の頭は『神様』="パピロン"という式を導き出したのだろうか?
絶対にありえない。
「やっと、着いたね!」
「うん」
歩き始めて約一時間。
頭にインプットしてもらった『地図』なるものを頼りに僕らはようやく、山に到着したのだった。
みなさん、こんにちは。藤原哲夫と申します。
さて、ところ変わってこちらは海サイド。
僕は今、運悪くも金髪小生意気なちびっ子と食糧調達をしていわけですが、実はこの女、とんでもない能力(ちから)の持ち主だったんです。二十分ほど前に一度見せられた時は驚きました。
「哲、来る!!」
またです。
コイツ、師匠たちと居る時だけ泣き虫を演じていて普段はこういう奴なんです。
「次はしくじるなよ!」
僕たちが狙っているのは『魚怪類(ぎょかいるい)』の中で最も美味しいと聞いた『魔黒(まぐろ)』です。
ただ、ここにいるみんなは『味覚』という感覚すら忘れているんです。
「任せて!!」
そう言うと、彼女は深呼吸してから勢いよく潜っていきました。その姿は、みるみるうちに小さくなっていきます。
チビのくせに、泳ぎの腕はなかなかのようです。
「形態変形・手(フォルムチェンジ・ハンズ)!」
その言葉に彼女の手が反応します。
「刃物化(ナイフ)!!」
これが彼女の能力。その手が鋭利なものへと形を変えました。
「うおっ!?」
海面から飛び跳ねたのは魔黒でした。その体には金髪少女の腕が背後からきつく巻きつけられている様子で、僕らの獲物は抵抗して左右に『く』の字を書くように必死にもがいています。
でも、それも無駄です。
お前らはボク達より学習能力が高い。一度の失敗から多くことを学べるはずだ。もっとも、それを活かすも殺すも本人次第だ―僕が初めて”パピロン”と会ったのは師匠たちの仲間になる前の日。師匠を見習って鍛錬をしていた時でした。
潤美もまた学習したんです。
「一刀両断(ジャスト・カット)!!!!」
魔黒の鱗を踏み台にして跳躍した彼女は、手放した獲物めがけて一直線にその小さな手を振り下ろしました。虚空で火花が散ります。
一撃必殺。
小柄な金髪少女の体から放たれた斬撃といえど、その破壊力は凄まじいものでした。
獲物は跳びはねてきた時よりも、さらに豪快なを飛沫を上げて撃沈。その巨体は、見事なまでに真っ二つでした。
僕は二度目の津波に襲われます。
潤美はというと、受け身の体勢のまま力なく着水。
「おい、大丈夫か!?」
「今度は哲の番ね…宜しく」
急いで駆け寄った僕にそう小さく呟いて彼女はゆっくりと目を閉じました。
「おい、潤美!」
最悪の場合も考えました。
「お前、まさか…」
覚醒したばかりの能力者が、過度にその能力を使うと最悪の場合は―そんな噂を誰からともなく聞いていたから。
「…進くん、ちょっとこっちに来て○△■#$%…」
「えっ?」
どうやら、その心配は要らなかったようです。僕の腕の中で、少女は小さな寝息を立てていました。意味不明な寝言付きで。
正直、その寝顔に少しキュンときてしましました。相当疲れたんでしょうね。
「カッコ良かったぜ、潤美」
僕は飛羅目(ひらめ)と腐愚(ふぐ)。潤美は魔黒。今日の獲物は三匹。初めての狩りにしては上出来でしょう。
あとは”パピロン”から受け取った、この『図缶(ずかん)』という入れ物に獲物を収めて捕獲終了です。
なんでも、この道具は捕った生物の名前の記されている紙切れをそれに翳すと、獲物がその紙切れに吸い込まれて収まる仕組みだとか。何度やっても不思議でしたが。
顔を上げると、西の空に夕映えが見えます。それはまるで、僕たちを称えてくれているように美しく光り輝いていました。
僕と僕の抱きかかえる小さな体は、吸い寄せられるようにしてその光の中へと入っていきました。温かな光に包まれながら、僕は目の前に広がる光景に自然と見入っていました。
海面から眺める夕日は格別に思えました。
「キョーちゃん、帰るよ!」
「まだ! それだけじゃ足りないよ」
食糧調達を始めて約二時間半。
僕とキョーちゃんは未だ山の上に居る。このやり取りは何度目になるだろうか?
この図缶の一枚一枚の紙には人の表情を円で囲ったものが描いてある。キョーちゃんの推測では、その中でも『笑っているもの』こそが『美味しいもの』の証らしい。
『美味しい』
その言葉に聞き覚えがあるのだが、実感として湧いて来ないのが現状だ。
そして、その中からいくつかを選んで探し回った。
僕は動物を蹴って、蹴って、蹴りまくった。時には頭から喰われそうになり、時にはその巨体から踏まれ、時にはキョーちゃんを抱きかかえながら戦った。
ここで一つ。僕は戦っている最中に何故、一度だけ味方からも攻撃を受けたのだろうか?
そんなこんなで、狩りが終わった僕は今も痛む頬を押さえながら、何かを探し続ける彼女に帰りを促しているわけだ。
「そんなに『食べたい』ものなの?」
「うん!」
彼女の手元を見ると、『燐胡(りんご)』の文字が書かれている。確かにそこには笑っている顔があるが、その上に描かれた黒い円形に稲妻のような亀裂の入った絵が何とも不気味である。
「あった!」
「ヴォォォォォォォォ~~~~~!!!!!」
突如、喜ぶキョーちゃんの後ろで轟音が鳴り響く。
それは山全体を揺らし、地面に亀裂を入れるほどの凄まじい威力だった。
「キョーちゃん、早く!」
僕の目に映ったのは巨大な黒い物体。動物のようにも見える。彼女の手を握り走った。
「あれって、『食べる』ことできるの?」
「知らないよ!! いいからは走って」
僕は叫びながら後ろを振り返った。明らかに追われている。激しく咆哮しながら僕たちに迫ってくる。
この時、迫っていたもう一つの危機に僕は気づかなかった。
敵との距離はわずか四十メートル。その正体が判ったのは敵が雄叫びを上げて飛びかかってきた直後のことだ。僕の視線が捉えたのは『大猩羅(ごりら)』だった。
「早く能力使って倒してよ!!」
「無理。もう余力なんてない!」
嘆く彼女に乱暴に応じて、正面に向き直る。
覚醒したばかりの能力を使うと、一度だけでもかなりの体力を消耗してしまう。それを今日は四度も使ってしまっていた。このような事態を想定して余力を残すべきであったことを、今更ながら後悔する。
逃げ切るにはこれしかない―
そう思った時、悲劇は起こった。
ついに、僕らの立っている場所にまで亀裂の波が押し寄せてきたのだ。
足が掬われるような感覚。降り注ぐ瓦礫の雨その中でも僕の視線は、先ほどまで傍らに居た彼女をしっかりと捉えていた。
「キョーちゃんっ!!」
返事はない。
当然、彼女の方が僕より早く海へと落ちてしまう。必死に手を伸ばすもわずかに届かない。
「手強化(ブースト・ハンズ)!」
キョーちゃんは僕が守る―
「長倍(リーチ・アップ)!!!」
「スー君っ!!」
力いっぱい僕は叫んだ。
ようやく聞こえた待ちわびた声。
必死に応えようとする彼女(ひと)を、僕は決して見捨てたりしない。
*
あぁ、もうダメだ。
「キョーちゃん、ごめん…」
「えっ?」
景色が遠ざかっていく。
体が一気に軽くなる。
「京子さん、師匠~~~!!!!!」
暗闇の中で聞き覚えのある声がした。
―See You Next