DAY 01 『無』という現実

 

  冷たい風が、体を通り抜けるのを感じた。

 何だかよく解らないが、周りがざわついている。

 近くでボヤ騒ぎでもあったのだろうか?

 でも、消防車のサイレンも聞こえないし、煙たくもない…なら、みんなは何を騒いでいるのだろうか?

 何人もの人が一斉に喋ってるのが解る。子供の泣き声、男性のうろたえるような声、女性たちの悲鳴、嘆き。それぞれが断片的に僕の聴覚を刺激する。だが、その一つひとつが微弱であるためか、完全に聞き取ることは難しい。他にも、頭がパニックになっているのだろうか、奇声のようなものが混じっている。一体、今、ここで何が起こっているのだろうか?

「……ー君、スー君…ねぇ、起きて!!」

 しばらく、考え込んでいると遠くの方から、誰かが僕を呼ぶ声が聞こえてきた。自己紹介が遅れたが、僕の名前は町田進。破羅堕(はらだ)高校二年。『スー君』というのは僕のあだ名で、こんな恥ずかしい呼び方をするは一人しかいない。

「…キョーちゃん?」

 重い瞼をゆっくり開けると、僕に覆い被さるようにして顔を覗き込む、神楽坂京子(かぐらざか きょうこ)の姿があった。

 目には涙を浮かべているようだ。彼女の顔がまだかすんで見える。

 僕と彼女は付き合って二年になる恋人同士。

 黒の長髪の彼女に、赤縁のメガネは実によく似合っている。その容姿はまさに、大和撫子と呼ぶに相応しい。

 言わなくてもいいことなのだろうが、僕は彼女のことを『キョーちゃん』と呼んでいる。その為、僕も人のことを言えた義理じゃない。

「キョーちゃん、何で泣いてるの? ていうか、ここって…」

  瞬間、寝ぼけ声で尋ねた僕の体を温かい何が包み込んだ。

「よかった…! スー君、ずっと起きなかったから心配だったんだよ」

 後から聞こえる声は震えている。僕は彼女の胸に吸い寄せられるようにして抱き合っていたのだ。触れ合う頬は、ほんのりと熱を帯びていて柔らかく、何とも心地いい。

「そんなに泣くなよ、キョーちゃん。ちょっと気を失ってただけだって…」

「ちょっとじゃないよ。スー君は私たちが目覚めた後、二日間も起きなかったんだよ」

「そっか、心配かけてごめん…」

 僕は優しく抱き寄せる。涙を啜りながら、キョーちゃんが小さく首を振った。

「私こそ、いきなり泣いちゃってごめん」

 僕は彼女が落ち着くのをしばらく待っていた。そして、その時ようやく気づく。

「そういえばさ、何で僕たち二人とも裸なの?」

「解かんない。 目が覚めたら裸だったんだもん。何でかメガネだけ近くに落ちてたけど…ていうか、気づくの遅いよ」

「いや、ごめん…起きたばっかだし」

「それで、どこまで見たか教えてくれる?」

「えっ?」

「別に隠さなくていいよ。ここに居るみんなそうなんだし…。それに、スー君になら見られてもいいかな…って」

「何も見てないよ」

 周りを見渡してみると、確かにみんな服を着ていない。もう、言葉を発する気力もなさそうだ。

「それ、ホント? なら、私の目を真っ直ぐ見て。聞いてるこっちも恥ずかしいだからね…!」

 言葉と行動が伴っていない気がする。

 もし、そうならば普通は恥じらいながら離れようとすると思うのだが、彼女は四つん這いになってズカズカと迫ってきている。この大和撫子はまだ元気らしい。さっきとはまるで様子が違う。

「ちょっ…、キョーちゃん??」

 彼女はこんなにも肉食だっただろうか?

 そもそも、『肉食女子』という言葉をこの娘(こ)に当てはめていいのだろうか?

 それとも、単に『強引』と言うべきか?

 身を逸らしながらも頭にいくつかの疑問符が浮かぶ。その視線は自然―当然、無意識である―と下方向に向けられ、彼女の二つの丘陵を捉えた。思っていたり膨らみある。

 もう、逃げられない。

「ごめん…今、見えた」

 あぁ、顔から火が出そうだ。しかも、鼻の奥からは鉄錆の臭いがする。

 これはヤバイ!!

 でも、目が逸らせない。これがホントの『釘付け』というやつだ。

 だが、ここで一つ言い訳させてほしい。

 これは僕の予想に反して、そこに立派に聳え立っている―いや、この場合は垂れている、という表現が正しい―彼女のそれが悪い。絶対に!

 というか、その姿勢自体が反則だ!!

「やっと、白状した…いいよ、許したげる」

「でも、目に入ったのは今だけだよ。本当にごめん」

 僕は平静を装って謝罪するが、顔はまだ熱いままだ。

 そんな僕とは対照的に、目の前色白美人は爽やかに微笑んでいた。

「大丈夫だって。私も、さっきスー君のガッツリ見ちゃったから。これでチャラだね!」

 言われて、そのまま視線を落とす。返す言葉が見つからなかった。

 付き合って二年目、僕は彼女の新たな一面を目の当たりにした。でも、可愛いから許そう。

 だって、恋愛には日々、発見がつきものなのだから―

 

*

 

 目が覚めてから二時間が過ぎた。

 僕は今、海岸沿いでキョーちゃんと一緒に夕日を眺めている。

 あの後、僕らは自分たちの知り合いや家族を探して、しばらく歩き続けた。見渡す限りの裸体に初めは動揺していたが、間もなく、そうも言ってられない状況に陥った。

 その道中、いくつかの死体が転がっていたのだ。人に殺されたという感じではない。どの遺体にも明らかに獰猛な生物に襲わせたような傷痕が残っていたのだ。

 これはおかしい。

 なぜなら、現在は西暦二一六〇年。この現代に野生生物は存在しない。この日本に現存する生物は約五百種類。しかし、そのすべては日本のとある一角に集められ、人の手によって飼育されていると聞く。つまり、人間を襲うことなどありえないのだ。

 恐怖を感じた僕たちはすぐにその場を離れ、人気のないこの海岸まで移動してきたわけだ。結局、当初の目的は果たせずじまい。

 裸の人々、野生生物―この場所は一体、何なのだ?

「スー君、大丈夫? 怖い顔して」

「えっ? あっ、ごめん…ちょっと、考え事してて」

「さっきの事?」

 顔を覗き込んできた彼女に気づいて、向き直る。

「キョーちゃんは、怖くなかったの?」

「怖かったよ。でも、今はスー君と一緒だし…それに、この場所には私たちの他にも人は居る。だから、大丈夫。私ね、思ったんだけど、ここって元は無人島だったんじゃない?」

 確かに納得できる。

 その証拠にこの場所に建物は見当たらず、背後に広がっているのは森だ。歩いてきた道も舗装されている様子もなった。そして、何より野生生物が野放しにされている。

「僕たち、どうなるのかな?」

 もう、疲れた。頭が働かない。

「スー君、見て! あれって、私たちを助けに来てくれたんじゃない?」

 促されて上空を見上げると、夕焼けの空に黒い点のようなものが見える。それは徐々に大きくなっていく。こちらに向かってきているようだ。シルエットから察するに人。

 やがて、その人は僕たちの前に降り立った。

「ようやく、最後の一人が目覚めたな。君が起きるのを待っていた」

「どういうことですか?」

 黒いスーツに、サングラスをかけたその人は無言のまま僕たちを見つめている。その風貌と体格のせいか、異様な威圧感がある。どう見ても『ヤクザのお偉いさん』だ。

「揃ったようだな、諸君。私の名前は熊田龍二。政府の人間だ」

 地鳴りの低ような音が海岸が響く。突然、発せられた声に思わず鳥肌が立ってしまった。

 振り返ると、この人の言うとおり確かに僕らの周りに大勢の人が集まっているではないか。

「日本国民に告ぐ、この国は壊滅した」

 その言葉を聞いた瞬間、時は止まった。空気が凍りつく。

 今、何て言った?

 僕は生唾を飲み、喉を鳴らす。

 直後、その背中からじっとりと汗が流れてきた。

―See You Next

スマホからこんにちは!

荒木テルと申します。小説家志望の29歳です。

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